オリンピックの世界記録は二千年以降に更新されたものが多い。
これは選手の装備がスポーツ向けに進化し続けているためでもある。
このまま世界記録が更新され続けたとしても、世界記録が破られなくなるタイミングはいつか来る。
過去も未来も合わせてトップの記録が出るのはいつになるのかな。
オリンピックの世界記録は二千年以降に更新されたものが多い。
これは選手の装備がスポーツ向けに進化し続けているためでもある。
このまま世界記録が更新され続けたとしても、世界記録が破られなくなるタイミングはいつか来る。
過去も未来も合わせてトップの記録が出るのはいつになるのかな。
個人的な嵐を誰かのバイオリズム乗っかって思い過ごして良いのか不安になった事は無いだろうか?
個人的な嵐を誰かのバイオリズム乗っかって思い過ごして良いのかどうか考える必要はあると思った。
まずは個人的な嵐、誰かのバイオリズム、については明確にしていく必要はあるだろう。
個人的な嵐というのは、個人的に抱えた問題のことだろう。
誰かのバイオリズムというのが問題だ。
バイオリズムとは生命の状態のことだ。
個人的な嵐を誰かのバイオリズムに乗っかって思い過ごす事は可能だろうか?
そして誰かのバイオリズムに乗っかって思い過ごして良いのだろうか?
個人的な嵐を思い過ごす方法に誰かのバイオリズムがあるとして、個人的な嵐を想い過ごす事ができるかどうかの是非はともかくとして、思い過ごした時のメリットとデメリットを明確にする必要がある。
個人的な嵐を思い過ごさなかった場合、それは自身に対しての成長を促す可能性があるが、そのハードルを越えられなかった場合は嵐を乗り越えられなかった事が自身への嵐になる可能性もある。
個人的な嵐を思い過ごした場合はプラマイゼロだが、思い過ごしたことに対してどう思うかが今後の個人的な嵐となるだろう。
誰かのバイオリズムに乗っかって思い過ごす事で一時的な問題の逃避になるかもしれないが、その誰かのバイオリズムがそこまで頼りになるのか?
誰かのバイオリズムに乗っかった経験はあるだろうか。
俺はない。
なんとなくわからんでもないが俺はバイオリズムに乗っかったり乗っかられたりしたことは無い。
バイオリズムとはそこまで乗っかれるものか、
バンカズ2配信されたからやって寝る。
タオルの両端を持ちタオルの上に乗り、全力で持ち上げたら浮くんじゃないかと昔思っていたが、当然それで浮く訳は無い。
常識的に考えたら考えるまでもない事はわかる。
ならばどうして浮かないのかと考えたが、よくわからなくなった。
俺は高校の時一瞬だけやった物理は完全に忘れているものとする。
タオルを持ってる俺が重力で落ち続けてるからなのだろうか?
重力が無ければ良いとしたら、無重力で同じことをやった場合タオルで無限に推進力が得られてしまうためそれも違う。
両手で上に引っ張ってるのは間違いないので、それと同じ力が反対向きにかかっているようだ。
横向きならどうか?
摩擦の少ない床に乗り、腰にタオルを巻いて自分で前に引っ張れば前に進むかというと進まない。
帆船に扇風機を乗っけて、帆に当て続ければ風を受けて進んでしまうようなものだ。
これも何故動かないのかはよくわからない。
タオルを引っ張るのが他人だったら俺は動くのに、自分でやると動かない。
寝る前にそんな事を考えていて良いのか。
それはよい。
蝉の大量発生の周期が重なってアメリカで蝉の大量発生が起こっている。
ニュースでセミゲドンという語を使っているのを聞いて、敢えてセミマゲドンという呼び方を回避しているのかと思ったが、もしかするとハルマゲドンという語を分解すると「ハルマ」と「ゲドン」に分けられるのではないか?とも思ったので調べてみた。
ヘリコプターも「ヘリコ」と「プター」で分けるのが正しいため、「タケコプター」ではなく「タケプター」の方が意味的には良いというのを思い出したので、アルマゲドンもそういう系なのかもしれない。
ちなみにヘリコが螺旋でプターが翼的な意味だ。
ハルマゲドンとはヘブライ語をギリシャ語に音で変換したものであり、元々の意味はメギドの丘という地名を表しているようだ。
メギドの丘が最終決戦の地になっているらしいので、転じて終末的な意味で使われるのだろう。
ハルマゲドンを分解すると、「ハル」(丘、山?)「マゲドン」(メギド)の2つに分けられる。
つまり「セミゲドン」というニュース番組での呼び方は語感的にも意味的にもおかしいため、あのB級映画のセミマゲドンと混同するのを回避しようとしている可能性が高いと思う。
別にアメリカのB級映画と名前が被ったとて良かろうとは思うが、仮にセミマゲドンが日本のニュースに配慮させるような影響力のある映画だとしたら凄くないか。