DAICHIと僕と、夢の跡

ダイアリーからのスムーズな移行に失敗した男

行動選択の幅

30分後に公園の駐車場で友人とスマブラで遊ぶので(天気は雨)、それまでに雑に記事を更新する。

 

最近のスシローの件を見たりして思うのは、(その件と何が関係あるのかはわからんが)動機に対して選択される行動の幅が年をとるごとに狭まっていってると思った。

例えば「お腹が空いた」→「何か食べる」のような、動機に対しての行動の選択肢の幅の事だ。

 

昔は、例えば「お腹が空いた」→「逆に何も食べない」のような、何も理由の無い動機への反逆を自然と行っていた気がする。

 

他の動物はそのような行動をとらない。

怖ければ逃げるし、お腹が空いたら何か食べるし、眠くなれば寝る。

人間の場合、自分にとって損得勘定でプラスになるような行動を自然に選択している。

怖くても立ち向かう理由があれば立ち向かうし、ダイエットしてるなら我慢するかもしれない。

人に優しくする事も、自分がいい気持ちになるからやっている。

しかし、自分が嫌いなやつに優しくする事はいい気持ちになれないからやらない。

善行というのも、突き詰めれば自分のためなのだ。

 

しかしそれすら無視して、何も得にならない行動をとってみたら混沌なんじゃないかと思い、全く意味の無い行動をとってみる事があった。

 

行動する際に頭の中にいくつか選択肢があるとする。

「割り箸が無いから割り箸が欲しい」、という動機があるとしよう。今の俺が考えてる事の1つだ。

「面倒なので買いに行かない」「面倒なのでネットで買う」「外に買いに行く」

の3つが選択肢として挙がるとする。

行動原理は「外に出るのは面倒」「割り箸が無いと困る」の2つが競り合っている。

 

今の俺の場合、2つの条件をクリアできる「ネットで買う」を選ぶだろう。

大人になるにつれ、最適解以外を無意識に不正解として排除していると思う。

いつ買うかに関しても最適解の「Amazonポイントアップキャンペーンの時」に買うんだろう。

それが自分にとって最も精神的に安定した方法だとわかっているからだ。

 

だが、「部屋に割り箸が無い」の問題を解決する手段に「ハサミで食べる」とか「手で食べれるものしか今後食べない」のような、好奇心だけを満たして損をするような行動は選ばれない。

 

この表現で気付いたが、好奇心が占めるウエイトが今の比じゃなかったのかもしれん。

 

結局の所、俺も損得勘定でプラスに働く行動をとっていたのかもしれない。

常にマイナスになるように行動したらどうなるのか、興味がある。

この興味こそがマイナスを上回る得だったのか。