仕事がどんどん複雑化してきている。
ルールがどんどん追加されていって、それが減る事がないからだ。
2年前と比べるとめちゃめちゃ仕事が増えた。
というより、ルールが増えて手間が増えた。
手間が増える事を甘く見すぎではないか?
例えば100マス計算をやるのは簡単だが、そこに手間を増やすと難易度は段違いに上がる。
英語のリスニングをしつつ、左手で星マークを書きながら100マス計算をするとなると
本題の計算の部分の精度に響いてくる。人間には無理だ。
追加されたルールというのも、安全を配慮してだとか、特に意味が無かったりするルールもある。
そういったルールを無くした方が良いんじゃあないかと仮に意見が出たとしても
ルールだから従わなければならないと検討もされず却下だろう。
何故ならルールに従うことが美徳だからだ。
そもそも理由が無ければルールは作られない。つまりは却下するに足る理由がどれにも必ずあるのだ。
手間が増え続けるからルールを消そう。などという理由では絶対に消せないが、
この調子で増え続けたら無限に増えていくぞ。
誰かがミスしたりケガしたりする度に安易にぽんぽんルールが増えていくんだが、
消す事が不可能ならばルールを作る事も慎重になるべきだろう。
ルールを破ることが良いという訳ではないが、ルール自体の必要性を見直す事は必要だろうな。
ルールに従っていれば何が起こっても自分の責任にならないから安心出来るんだろう。
ルールを作る事で問題なのは、ルールを破った人間を叩く理由も同時に出来上がる事だ。
別に気にするような事でもないのに、ルールを皆が守っているならそれを破った人間は悪になる。
ルールさえ無ければ悪にはならずとも、ルールを使えば悪にする理由が出来る。
マナーも同じようなもんだよな。
マナーなど無ければお互い気にならないような事も、マナーがあるから
それを守らなければ相手に無駄に嫌な印象を与えてしまう。
実害の無いマナーなどは無い方が良い事もある。
相手に嫌な思いをさせないためにマナーがあるのに、マナー違反自体が相手に嫌な思いをさせるのは本末転倒なんだよな。
もちろん必要なマナーはあるけど、訳分からんマナーはマナー厨を炙り出す罠やろ。
自分は正しい事をしていると自信を持ちたい、又は相手にマウントを取るための道具でしかない。
俺は多分、当たり前の事を当たり前だからと疑わない事が嫌いなんだ。
いつまでも小さい子供の視点を持っていたい。
ちびっ子の電話相談室で(正式名称忘れた)、「何故遠くにある物は小さく見えて、近くにあるものは大きく見えるのか」という質問に感動した事がある。
疑問に思うことすら無かったけど、確かに言われてみれば遠くに行くほど小さくなるのは不思議だ。
疑いもしない所に疑問を持つ事が出来る視点に感動した。